2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」の第4話が1月29日に放送されましたが、そのある場面がネットで話題となっております。
その場面というのは織田信長の居城である清州城が登場したシーンです。ネットで見られるコメントは多くが否定的なものなのですが、なぜ、この場面が炎上しているのでしょうか?
清州城が登場したシーンが炎上した理由とは?
問題の清州城ですが、大河ドラマ「どうする家康」で登場したものは広大でそれはそれは立派なものでした。それなのに炎上してしまった理由は、この城が日本の戦国時代の城らしくなかったからです。
ツイッターを見ると次のような投稿が溢れかえっておりました。
- あれ?おかしくない?
- なにこれ?中国の城?
- 紫禁城じゃないのか?
- このドラマ、日本人が作っているの?
それはもう惨い投稿ばかりみられます。ちなみに紫禁城(しきんじょう)というのは中国の北京にある明王朝・清王朝において皇帝のいた城です。どちらかというと、紫禁城の門である天安門のほうが有名かもしれませんね。
確かに大河ドラマ「どうする家康」で登場した清州城は、紫禁城ほどの規模ではありませんが、建物の前の広場のスペースなどはよく似ている感じがします。
現在の清洲城
清州城は江戸時代に廃城になっていますが、1989年に再び天守閣が建てられました。その写真がこちらです。
紫禁城と清州城の写真を比べてみれば、どう見ても似つかないことがわかります。多くの人が、戦国時代の城といえば、現状の清州城のような城を想像するのではないでしょうか。
実は「どうする家康」の清州城のほうが史実に近い?
織田信長の居城といえば、安土城のような立派な天守閣が思い浮かびます。ところが若し日の信長が滞在していた清州城については、実際はどのような城だったのか謎に包まれております。
なぜなら、この城は江戸時代に廃城になっているからです。
清州城には天守閣はなかった?
現在建っている清州城の天守閣も全く史実的な根拠のない模擬天守であり、実際のところは当時の清州城には天守閣はなかったとも言われております。
清州城にいたころの信長はまだまだ尾張の弱小大名であり、立派な城を建てるほどの資金力があったかどうかは疑問です。
ちなみに清州城は信長が築城したものではなく、信長が生まれるかなり前に築城された城です。信長は自分がこの城に移るときに一応大改修は行っております。
とにかく、現在の清州城は史実のものとは大きく異なっていると思われます。
このことから、実は大河ドラマ「どうする家康」の天守閣のない清州城のほうが、現在の清州城よりも史実に近いと主張する方もいるようですが、はたしてそうなのでしょうか。
どちらかというと大黒殿?
でもやはり、現在の清州城とどっちが史実に近いかは別として、ドラマで登場した城はどうみても戦国時代の城らしくなく、違和感を覚えます。
メインの建物の前に大きな広場があるのは、確かに中国の城のような感じがしますし、あえて日本でいえば城というより平城京や平安京といった都の大極殿に近いイメージです。
大極殿というのは天皇が政治や儀式を行う場所のことを言い、建物の目の前には人が集まる広いスペースがありました。
個人的には大河ドラマ「どうする家康」の清州城は、やはり違和感を感じるもので、人によってはがっかりしただろうし、炎上するのも無理がないと思います。
清州城の歴史
清州城についてもう少し詳しく知りたいと思ったかたもいるのではないでしょうか。最後に簡単に清州城の歴史について説明したいと思います。
この城は1405年に守護である斯波義重(しば よししげ)によって築城されました。1375年に築城という説もあります。ちなみに織田信長が誕生したのは1534年で、そのときも尾張の守護は斯波氏でした。
信長が清州城に移り住んだのは1555年です。上司で折り合いの悪かった織田信友(織田本家で守護代)から奪った形です。信長はその後、10年近くこの城にいました。
有名な桶狭間の戦い(1560年)も、この城にいたときの出来事でした。この戦いで今川軍の先陣にいたのが後の徳川家康こと松平元康です。
1562年に信長と家康の清洲同盟が結ばれると、信長は斎藤氏と戦いに備えるために小牧山城に移りました。
そして1609年に天下人となった家康が清須から名古屋へ町の移転を命令すると、城下町ごと今の名古屋に移転されました。
それまでの名古屋は何もない土地でしたが、この大移転を清洲越し(きよすごし)といいます。その際ですが、清州城の解体資材も名古屋城築城に利用されたといいます。移転が完了後、1613年に清州城は廃城になりました。
ちなみに清州城の場所は名古屋から北西へ数キロ離れたところです。
まとめ
NHK大河ドラマ「どうする家康」の清州城登場シーンがネットで炎上していることを記事にしてきましたが、いかがでしたでしょうか。
当時の清州城はどのような城だったのかは謎に包まれていますが、もう少し同時代の城などを研究して史実らしさがほしかったという視聴者も多かったのではないでしょうか。
今回は清州城のシーンが炎上しましたが、他にも「CGにリアリティがない」「松本潤が徳川家康のイメージとは合わない」といった評判も聞かれます。
大河ドラマ「どうする家康」は、まだまだこれからも続きますが、今後もこのような違和感を感じるシーンがあるのではないかと、ちょっと心配になりますね。
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