日本では故人の供養の1つとして、春にぼたもち、秋におはぎをお供えする習慣があります。お墓参りやお彼岸とは何の関係がない人でも、この頃になるとスーパーにおはぎがたくさん売られているので嬉しくなります。
大人になりお墓参りやお彼岸の行事が身近になったものの、故人が特に好きだったかどうかはわからないのに、なぜ決まっておはぎなのだろうと思うことがあります。
万人に共通して備え物がおはぎだというのは、やはり不思議です。なぜおはぎなのか知らない方も多いと思いますが、日本人としては説明できるようになりたいですね。
そもそもお彼岸って何?
お彼岸の由来は諸説あるようですが、素人でも分かりやすく砕いて言うならば彼岸は、迷いの岸から悟りの岸に到達することで、修行の期間であるそうです。
仏道で悟りの境地に行くには心豊かにする6つの教えがあり、それをこの年に2回実践しようというもので、先祖に感謝する行動も修行の1つだったのだそうです。
今では、一般人には修行というイメージはありませんが心豊かに穏やかに過ごせるようにお彼岸には、お墓参りをします。
その際お墓の手入れをしますので、新しいお花やお線香を供えます。お彼岸と呼ばれるのは春と秋にありますが、故人の好きだったお花を添えるもよし、旬を感じられる花を加えるのもよし、義務と感じずに今を生きている人が楽しめるようにも工夫してください。
「おはぎ」と「ぼたもち」は違うもの?なぜお彼岸に食べるの?
「おはぎ」と「ぼたもち」ですが2つは同じものです。作り方も味も同じです。米粒が残る程度にもち米を炊き、まわりに餡をまぶしたものです。
あんこのように甘いものは、昔はご馳走で庶民がそうそう口にできるものではありませんでした。来客や法要の際など特別な時にごちそうとして食べられてきました。
日本ながらの季節を表す物になっており、春に咲く牡丹の花に見立てて「ぼたもち」と言ったり、秋に咲く萩の花に見立てて「おはぎ」と言うようになりました。
お彼岸に食べるおはぎは「つぶあん」?「こしあん」?
お彼岸に食べるおはぎは「つぶあん」なのでしょうか。それとも「こしあん」なのでしょうか。実はこれにも諸説あります。一説には、小豆は秋に収穫されます。
その旬の柔らかい小豆は皮まで食べられるので秋のお彼岸のおはぎは「つぶあん」で、小豆がかたくなる春のお彼岸に食べるぼたもちが「つぶあん」とのこと。
しかし他の説では、秋は萩の花に見立てるためなだらかな「こしあん」で春は牡丹の花を見立てるために「つぶあん」であるという真逆の説があります。
また、大きさで違う!なんて説もあります。牡丹と萩の花の大きさに合わせて作られ、おはぎは小さ目なのです。
またまた違う説では、もち米を主にしたものは「ぼたもち」でうるち米を主にしたものが「おはぎ」なのだとか…。
これだけ説があればきっと答えはありません。昔の輸送技術がなかった時代の日本で、旬や地元の食材でごちそうをふるまっていたでしょうから、どれも事実なのかもしれません。
所説ありすぎるものだという雑学があるだけで楽しいですね。
お彼岸になぜおはぎを食べるの?
小豆の色に昔の迷信が入っています。小豆の赤や紫は魔除けに利用されていました。先祖に邪気払いのお願いと供養をして、平穏に過ごしたいという思いが込められていました。
贅沢品の砂糖を使ったあんころ餅は、当時の精一杯のおもてなしだったと思われます。素敵ですね。心が吸い込まれるように輝いた小豆を使ったごちそうのおはぎには、そんな深い意味があったのですね。今度食べる時にはこの話を自慢げにしたいと思います。
まとめ
お彼岸の由来やなぜ「おはぎ」を食べるのかなどについてお伝えしてきましたが、いかがでしたでしょうか。
忙しいとついついお盆の時期や正月だけしかお墓に足を運ぶチャンスがない現代人の傾向だと思います。
決しておろそかにしようというつもりではないのですが、やはり今を生きている以上、家庭も大切にしなければならないですし、転勤先からスケジュールを調整してお墓に向かうのは難しい時代にもなっています。
できれば正月と盆の中間にある年2回のお彼岸にも足を運べるようになるといいですね。スーパーでおはぎを見かけると墓参りを思い出します。もしも訪問することが難しければ、感謝のお祈りをするだけでも先祖を思い出す良いチャンスになるでしょう。
自分は紫が大好きです。小豆の色が大好きです。この時期になると決まって有名な店のあのおはぎが食べたくなります。この時期は行列になります。
決して高価なものでなくても構いません。 お彼岸の頃にはおはぎをお供えし、捨てずに感謝を込めて食べ頃のうちにいただきましょう。家族や身近な方と今を生きていることの感謝とこれからの健康を願っておはぎを食べて楽しく過ごしましょう。
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