金閣寺と対照的に静寂さを漂わす銀閣寺|その歴史や見どころは?

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日本には数えきれないほどのお寺がありますが、教科書にも載っている歴史のあるお寺で、且つ世界から多くの人が訪れる数少ないお寺の一つが、「銀閣寺」です。

銀閣寺は京都府京都市左京区にある臨済宗相国寺派の寺院であり、正式名称は東山慈照寺と言います。現在は、共に国宝になっている2層の観音殿(銀閣)と書院造りの東求堂、それと国の特別史跡になっている庭園が残されています。

平成6年(1994年)に「古都京都の文化財」の一つとして世界遺産(文化遺産)に登録されました。

その銀閣寺の見どころなどについて紹介したいと思います。

銀閣寺

銀閣寺の見どころは?

銀閣寺の見どころについて紹介したいと思います。

銀閣

銀閣は東山文化を代表する二層建ての楼閣庭園建築物であり、一層目は心空殿、二層目は潮音閣という名になっています。

銀閣は創建当時は内外共に、黒漆が塗られていました。ちなみに、銀閣は一度も銀箔を貼られていませんが、銀閣という名称の由来は外壁の黒漆が日光により、銀色に輝いて見えたからと言われています。

東求堂

東求堂は銀閣と同じく、東山殿造営当時の遺構です。東求堂には書斎の同仁斎があり、付書院という机と、違棚という物を収納する棚があります。

東求堂は檜皮葺の入母屋造りですが、同仁斎は日本最古の書院造りになっています。元来4畳半の茶室でしたが、足利義政は書斎として使っていました。内部には阿弥陀如来立像が安置され、西側の襖の奥に位牌棚、南寄りに法体の足利義政像があります。

東求堂

庭園

銀閣寺の庭園は金境池を中心とした池泉回遊式庭園です。1952年に国の特別史跡及び特別名勝に指定されます。

当初は西芳寺(苔寺)を模して造られますが、江戸時代の大改修により創建当時の面影はかなり失われてしまいました。錦鏡池が映し出す銀閣、白砂、洗月泉がとても艶やかです。

銀閣寺の庭園

その他の見どころ

銀閣寺は観音殿や東求堂、庭園以外にも、以下などが見どころとなっています。

銀閣寺垣銀閣寺の総門を潜って右に曲がると、樹木による垣を巡らせた参道があり、「銀閣寺垣」と呼ばれています。長さは約50メートルで、椿、梔子、山茶花、樫などで組まれた生垣になっており、建仁寺の建仁寺垣を模したと伝えられています。

向月台と銀沙灘銀閣寺垣の参道を進み、左に曲がると白い盛り砂が見えてきます。富士山のように円錐状に盛り上がっているのが「向月台」で、向月台の手前に波型に盛り上がるのが「銀砂灘」です。

銀砂灘は中国の西湖がモデルにされています。この向月台と銀沙灘は創建当時にはなく、江戸時代の改修で造られますが、何の目的で造られたのかは不明です。

向月台と銀沙灘ともに「白川砂」という京都の砂が使われており、向月台の砂は月の光を反射し、銀閣を青白く照らします。

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銀閣寺の歴史

銀閣寺の歴史は室町時代に遡ります。1482年、8代将軍・足利義政は3代将軍義満の山荘「北山殿」にならい、応仁の乱によって焼失した浄土寺の跡地に山荘「東山殿」を造営し、翌年東山殿に移ります。

当時は長年に渡って争われた応仁の乱の直後であり、京の都は荒廃していました。1485年、義政が出家した翌年に東求堂が完成しますが、「観音殿(銀閣)」の完成を見ることなく、55歳で亡くなります。

遺命により、東山殿は寺に改められ、名称は義政の戒名に因んで「慈照院」とされました。その後、1491年に名称が「慈照寺」と改められます。なお、当時の慈照寺は会所、常御所、釣秋亭、竜背橋、泉殿、西指庵、漱せん亭、超然亭などがあるとても大規模なお寺でした。

ところが、1550年に15代将軍義昭と三好長慶の争いにより、観音殿と東求堂以外の建物を失います。江戸時代に入ってから改修が行われ、現在の銀閣寺に近い形になります。

また、この頃から金閣寺(鹿苑寺)の舎利殿である「金閣」に対して、観音殿が「銀閣」と呼ばれ始め、後にはお寺自体が「銀閣寺」と呼ばれるようになります。

まとめ

京都は修学旅行のメッカになっていますが、多くの学校で見学コースに加わるのが金閣寺と銀閣寺です。金閣寺の煌びやかさとは対照的に、銀閣寺は侘び寂びのムードを漂わせています。

2つのお寺の絶妙なコントラストが非常に印象的です。なお、銀閣の屋根の上には天下太平の象徴である「鳳凰」が東を向いて立っています。

応仁の乱で荒廃した京都を平穏な時代の頃に戻したいという義政の願いが込められたとされています。ちなみに、苔の緑が美しい庭園は義政が母親のために造らせたものです。

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